子どもに好きなスポーツを見つけてあげたい。そう願う親御さんは多いでしょう。そこで、トップアスリートたちに、いつどんなきっかけでそのスポーツを始めたのか、親は何をしてくれたのかなどをリトルアスリートクラブ代表トレーナー遠山健太がインタビュー。
第1回は、現在、大坂なおみ選手や錦織圭選手の活躍で注目されるプロテニス界で活躍した松井(旧姓高岸)知代さんの登場です。
松井知代さんは、ジュニア時代から強いプロ意識を持っていた
松井知代さんは、富山県生まれの元プロテニスプレーヤーです。
ジュニア時代から強いプロ意識を持ち、高校卒業後、自分の可能性を追求したいと、プロテニスプレーヤーとしての道を歩み始めます。
2005年の広島国際女子シングルス(ITF)でプロ初タイトル。
2006年GSユアサオープン(ITF)でツアー2勝目。
2007年全日本室内選手権で準優勝。
2009年に引退し、2010年プロテニスプレーヤーの松井俊英さんと結婚。
現在は6歳の息子さんのお母さんです。
松井さんと遠山の出会いは15年前。遠山が東海大学スポーツ医科学研究所で研修員をしていたときに、恩師である有賀誠司教授(当時助教授)から松井選手のサポート依頼があり、担当トレーナーとして2年間指導に携わりました。当時、松井さんはプロデビューしたての注目のテニスプレーヤーでした。今回はそれ以来の再会です。

憧れの選手の試合を間近で見た感動がプロへの道を決心させた
遠山:松井さんはいつ、どうしてテニスを始めたのですか?
松井さん:実家の前にテニスコートがありました。そこでコーチをしていた方に「ちょっとやってみない?」と言われたのが7歳(小学1年生)のとき。始めてすぐに4泊5日のテニス合宿があったのですが、初めてのお泊りだったのにも関わらず、とても楽しかったんです。
それは、元テニスプレーヤーの神尾米さん(伊達公子さんの影響で日本女子テニス界が最盛期にあった頃に活躍した選手の一人で、シングルス自己最高ランキングは24位)を育てたイラコテニスカレッジ主催の合宿で、神尾さんもいらして、とてもかわいがってもらえた。それから毎年合宿に参加するようになりました。
遠山:ふだんはどのくらい練習していたんですか?
松井さん:私が育ったのは富山県。冬は雪が降るなどテニス環境としては恵まれていませんでしたし、硬式テニスをできるところも少なかったんです。週1回のテニス教室と父の球出しくらい。それでも小学生のときは全国大会3位まで行けました。
遠山:プロになりたいと思ったのはいつですか?
松井さん:小学4年生のときに富山県でインターハイがあり、そこで、プロになる前の浅越しのぶさん(伊達2世と言われ、2004年に全米オープン女子シングルスベスト8に進出した選手。シングルス自己最高ランキングは21位)のプレーを実際に見たんです。
そのとき、「テニスってすごいな」と感動。自分もプロを目指してみたいと思ったんです。それからは春、夏、冬と長期の休みのたびに、神奈川県にある伊良子さんのテニスクラブに行って練習をさせてもらうことになりました。
遠山:本格的にテニスに取り組み始めたのはいつですか?
松井さん:中学生になったときです。プロを目指すのだったら、高校生からだと遅いかもしれないとコーチに言われ、テニスを本格的にできる環境を求めて単身、神奈川県へ。大学生向けの女子学生用マンションに住み、テニス漬けの日々。
朝7時に中学校に行き、学校から帰ってきたらそのまま電車に乗ってテニスの練習へ。帰ってきたらすぐ寝るという感じです。
忙しすぎて寂しいと感じる暇もありませんでした。中学2年生からは、現役を引退された神尾米さんの指導を受けることになり荏原SSCへ、25歳で引退するまでそのテニスクラブを拠点にしていました。
スポーツ好きの両親のもとで、小さいころからさまざまな運動経験をした!
遠山:小学生のころはテニス以外の運動はやっていたんですか?
松井さん:いろいろなことをやっていました。スイミングは0歳から始め、小学2年生ごろ、ひと通り泳ぎをマスターできたのでやめました。その代わりに始めたのがテニスと陸上競技です。週1回くらい教室に通っていました。テニスはもちろん、陸上も好きでした。ただ、陸上では球技をやっていたせいか、だんだん瞬発系の力が落ち、50m走のタイムが伸びなくなってしまったんです。代わりに、持久系が得意で好きになり、4年生のときに富山市の小学生3㎞マラソンに出て優勝。6年生のときは学校代表で1000m競技に出て優勝しました。
遠山:家族でもスポーツを楽しみましたか?
松井さん:はい。弟が野球を始めてからは父と弟と3人で大きな公園に行って、男の子みたいにティーバッティングをしたり。ボールを投げたり打ったりするなかで球感覚がよくなった気がします。スポーツが特別でなく、当たり前のようにできた環境だったと思います。
遠山:親御さんは何かスポーツはしていましたか?
松井さん:父はスキー選手でした。ただ、スキーは冬しかできませんし、危険性もあるからと、私にはあまりやらせたくなかったようです。母は運動好きで、趣味でいろいろやっていた感じ。
テニスは両親とも趣味程度に楽しんでいて、全仏オープンやウィンブルドンなどグランドスラムはテレビでよく見ていました。当時、両親がシュテフィ・グラフ選手が好きだったので、自然と私も好きになりましたね。ルックスもよくて、ザ・アスリートという感じが好印象でした。

遠山:うちも家族でグラフファンでした!親御さんは子どもの運動に関して熱心でしたか?
松井さん:そうだと思います。水泳もテニスも陸上もきかっけは両親が用意してくれましたから。ただ、そのあとは私の気持ちを優先してくれました。最終的に何をしたいかそのジャッジは私に委ねてくれましたし、テニスを本格的にするために神奈川県へ出たいと言ったときも、応援してくれました。その後も、試合を観に来ることはあったけれど、決して口を挟まなかった。コーチとの信頼関係を大切にしてくれました。
また、母は睡眠や食事にとても気を配ってくれていて、それがすごくよかったと思います。プレーヤーとしての体の基礎ができたと思います。両親ともに背が高くないのに身長が伸びたのは、そのおかげかなと(笑)。
遠山:プロのテニスプレーヤーになれたのも、そういう幼少期の経験があったから?
松井さん:そうですね。一番大きかったのは浅越しのぶさんの試合を見に連れて行ってくれたこと。浅越さんは、その翌年にプロになり、どんどん活躍していくのですが、実際に見ると、スピード感、躍動感、音などが違うんですね。そのスゴさを体感するとともに、「こんな選手になりたい」と、目標が見つかったんです。
テニスは幼少期から始めるほうが、遊ぶような感覚でボールタッチなどが覚えられる
遠山:世界で活躍するには、テニスは幼少期から始めるべきと言われます。それはどうしてなのでしょう? また、小さいころからやるメリットはどこにありますか?
松井さん:テニスは技術習得が難しいからだと思います。プレーの幅に差が出るんです。それに、小さい頃は遊びができるのがいいと思います。たとえば、遊んで回転をかけたりなど、ボールタッチを覚えるのも自然とできます。ゲームの駆け引きなども、楽しく習得できるときにやると身につくんです。
どうしても年齢とともに、試合が多くなり、練習時間も長くなり、「楽しく!」という部分が減ってきてしまいます。まずは、テニスの楽しさを知ってほしいですね。
遠山:野球では、関節の障害防止のため小学生投手の変化球を禁止しています。その一方で、「変化球は遊びでいいから投げたほうがいい」というダルビッシュさんのような意見もあります。もちろんやりすぎは論外ですが。
松井さん:そうですね。どんなスポーツも、小さいころは基本は楽しむ程度にすることが大切だと思います。テニスで言うと、ドロップショットやボレーなどは、ある程度小さいうちにやらないと身につかないんです。球感や勇気とかが大切ですから。
遠山:将来、トップアスリートを目指す場合でなくても、テニスは小さい頃からしたほうがいいのでしょうか?
松井さん:もし、機会があれば、ぜひやってほしいと思います。小さいころなら、週1回とかスポーツの習い事の一つとして楽しめますよね。そのなかで子どもに「テニスが好き」という気持ちが生まれたら、そこから本格的に始めたらいいと思います。
後編では、松井さんが6歳の息子さんに行っている運動子育てについてご紹介しますのでお楽しみに!
後編はこちら↓↓↓
【元プロテニス選手 松井 知代さん-後編-】幼児期はスポーツの 楽しさを味わうが一番。一つに絞るのは小学生になってから