子どもに好きなスポーツを見つけてあげたい。そう願う親御さんは多いでしょう。そこで、トップアスリートたちに、いつどんなきっかけでそのスポーツを始めたのか、親は何をしてくれたのかなどをリトルアスリートクラブ代表トレーナー遠山健太がインタビュー。
今回は、3度のオリンピックを経験した現役のセーリング選手 、吉田愛さんの登場です。前編では、セーリングとの出会い、その魅力についてうかがいます。
吉田さんはママアスリートとして東京2020の出場をかけた戦いに挑んでいる
吉田愛さんは東京都八王子生まれ。小学1年生からセーリングを始め、大学時代には、女子470級で全日本学生女子選手権大会3連覇し、オリンピックを夢見るようになります。
そして、北京オリンピック、ロンドンオリンピックに出場を果たし、ともに14位。
2013年よりベネッセセーリングチームに所属し、吉岡美帆選手とチームを結成してリオで5位入賞。
その後、「東京2020を狙うためにもまずは子どもがほしかった」と産休に入り、
2017年6月息子さんを出産。同年9月に練習を再開し、11月、ママアスリートとして初のレースとなった日本初開催のワールドカップで銀メダルを獲得。
2018年、デンマークで開催された世界選手権「セーリング・ワールド・チャンピオンシップ」で、日本選手として史上初めて金メダル獲得。
ご主人はロンドンオリンピックに出場した元セーリング選手。現在はチームのコーチとして吉田さんとともに東京2020を目指しています。
遠山と吉田さんとの出会いは、遠山が国立スポーツ科学センター勤務時代(2004−2008年)。北京オリンピック出場を目指していた吉田さんのトレーニングサポートのアシスタントをしていました。

吉田さんがスキッパーとして活躍するのは、2人乗りの「470級」
遠山:セーリングという競技について、よく知らない方もいると思うので、簡単に教えていただけますか?
吉田さん:いわゆるヨット競技のことです。1人乗り、2人乗りとあり、レース海面に設置されたブイを、決められた順序に決められた回数を回って着順を競います。1つのレース期間が1週間前後と長く、その間にだいたい10〜11レースを行います。その着順を点数化し、総得点が低いほうから順位が決まります。
遠山:吉田さんは2人乗りの競技でしたよね?
吉田さん:そうです。私が出場するのは「470級」(ヨンナナマル級)と呼ばれるセーリング競技。全長470cmの小型ヨットを操ることからそう呼ばれます。メインセールと舵取りを担当するスキッパーと、船の傾き調整とジブセールの操作を担当するクルーの2名でヨットを操ります。スキッパーの体重は60kg前後、クルーは65~75kg、合計130kg前後が最適とされ、小柄な日本人に最も適した種目と言われているんです。
遠山:吉田さんはスキッパーですよね? 私がトレーニングのアシスタントに入ったときが初めてのフィジカルトレーニングでしたよね?
吉田さん:そうです。初めてのオリンピック挑戦のときでした。世界を目指すのであれば体づくりが必要ですし、競技を長く続けていきたいという思いもあったので、国立スポーツ科学センターのトレーナーさんのもとできちんとトレーニングしようと思いました。栄養や心理の知識も学べると聞いて、ちょっと遠かったのですが、足繁く通っていました。
遠山:基本的な種目のほか、競技に近い動きを取り入れたトレーニングが多かったと記憶しています。
吉田さん:私はスキッパーなので、座って帆を操るのが主になります。そのための筋力や持久力をつけるトレーニングが中心でした。そのおかげで、筋肉がつき、それとともに成績も伸び、筋トレって大事なんだなと実感しました。特に、効果を実感したのは風が強いときです。筋力を使って船を操るので、以前は強風が苦手で世界では通用しなかったのですが、トレーニングしていくうちにむしろ得意になっていきました。
音楽好きの両親のもとで育ち、ヨットは家族の週末の楽しみだった
遠山:吉田さんは小さい頃から、セーリングひと筋というわけではないのですよね。
吉田さん:そうなんです。セーリングより前に、ピアノを3歳から習っていました。うちは、父はギター、母はエレクトーンの先生で、「将来、家族で演奏会ができたらいいね」と、私はピアノ、妹はバイオリン、弟はピアノにギターと、それぞれ違う楽器を習っていたんです。

遠山:音楽一家だったわけですね。セーリングとの出会いはどこに?
吉田さん:両親が趣味でクルーザーを持っていて、週末は家族で三浦の海に出かけましたし、夏休みにはクルージングの旅を楽しみました。そんな中で、父が舵を操るのを見ながらヨットの基本的なことを教えてもらったんです。

週末の楽しみだった。一番右端が吉田選手
小1のときのヨットの1日体験。大海原を自分の力で自在に走れる楽しさにハマった
遠山:セーリングを競技として始めようと思ったのはいつですか?
吉田さん:小学1年生のときに、子ども用のヨット「オプティミスト級」の1日体験に行ったのがきっかけです。一人で海に出てみると、今まで以上に海がすごく広く感じて、こんな広い海を自由自在に自分の力で走れるのが楽しくて…。怖い部分ももちろんありますけれど、それも含めて自分で操れるというのが楽しかったですね。
遠山:オプティミストとは、どんなヨットなのですか?
吉田さん:国際セーリング連盟が承認する最も小さなクラスのヨットで、15歳までの子どもだけが乗れます。ヨットの入門艇として100か国、15万人以上の子どもたちに普及しています。
遠山:そのころは、習い事の一つだった?
吉田さん:そうです。週末の習い事です。そのほかに、ピアノ、音楽教室、水泳、バレエ、新体操、学習塾、英会話と、小学生のころはほぼ毎日何か習い事をしていました。両親は子どもがしたいということに対して、なんでも応援してくれていましたね。
遠山:何がいちばん好きだったのですか?
吉田さん:やっぱりヨットが一番好きでした。週末、友だちとヨットで遊ぶ感覚です。当時はスポーツ競技というイメージではなかったんです。

遠山:セーリングは小さい頃からの経験者が多いのでしょうか?
吉田さん:社会人の競技者でいうと、半分よりやや多いくらいだと思います。クルーのポジションは高校の部活として始める子が多いですね。一緒に組んでいる吉岡選手もそれまでバレーボールをしていました。
それに対し、私が担当するスキッパーは舵を操るので、小さい頃からの経験者が多いんです。
舵を握るだけで、自然と風の方向、強さがわかる。
船の気持ちというか、船の行きたい方向を舵で感じる。
そんなふうに、頭で考えなくても、体で覚えているということが重要になりますから。
ピアノよりヨットを選んで大学へ。そこでオリンピックへの道が見えてきた
遠山:ピアノとヨット、どっちを選ぶか悩んだことはありますか?
吉田さん:大学に進むときです。私は音大付属の中学、高校に通っていましたから、大学までエスカレーター式に行けたんです。けれど、自分の将来を考えたときにピアノの先生になりたいわけではないし、音楽家になれるほど才能があるわけでもない。でも、親は音大への道を想定して付属校に入れたわけですから、私から「上に行かない」なんて言い出せなかったんです。
そんなとき、父が「ヨットで推薦をもらって大学で続けてもいいよ」と、その選択肢を示してくれました。父は私が高3のときに病気で亡くなったんですが、セーリング競技を本気でやろうと思えたのは父のおかげなんです。
遠山:高校時代、大きな大会を経験しているのですか?
吉田さん:高校までは週末の習い事の延長でしたので、出場したのは国体くらいです。高2のときにタイミングよく優勝できていたので、当時強かった日大ヨット部に推薦で入れました。
遠山:オリンピックのことを意識し始めたのはいつですか?
吉田さん:大学に入ったときは、遠い夢にもならないくらい、遠い遠い存在でした(笑)。ただ、大学の先輩にたくさんオリンピアンがいて、そこで一緒にやっていくうちに目指せるかもしれないと思えるように…。
OBの方の支援で、社会人になってからも競技ができる環境をつくってもらい、そこでがんばっていくうちにその道筋が自然にできてきたんです。まわりの方々のおかげですね。気がついたら、今、4度目のオリンピックに挑戦をしている!


そのときどきの風や波を読み、舵を操る。セーリングは頭脳と体力の両方を使う競技
遠山:セーリングの魅力はどんなところにあるのでしょうか?
吉田さん:初めて一人で乗ったときは、エンジンを使わないヨットで広い海を自由自在に走れるのがただ楽しかったんです。少しずつうまくなって全国でレースをするようになると、いろんな海でレースができて、日本各地に友だちができるのが楽しみになりました。
そして、今は世界中の海でレースができ、いろんな環境の世界中の海を走れる楽しさがあります。そして、競技としては、開催地によって地形や風の吹き方などまったく違う環境で、そういう状況を短期間で捉えてレースの中で風や波を読み舵をきる。それがうまくいって先頭を走れて優勝したときは達成感がありますね。
遠山:頭脳と体力と両方必要なんですね。
吉田さん:そうですね。1週間でだいたい10〜11レースあり、そのポイントで勝敗が決まります。毎日、風も全然違うなかで、20、30艇が(もっと多いときもあります)ポイントを争っていくのでその駆け引きもおもしろいです。
ママセーラーになって初オリンピックに向けて挑戦は続く
遠山:今はママアスリートなんですよね?
吉田さん:そうなんです。東京2020に向けて競技を続けようと思っていたので、妊娠中用のトレーニングプログラムに入りました。おかげで体力が落ちずに出産できて、すぐに復帰もできました。
遠山:体力は戻りました?
吉田さん:体力で言えば7割くらいは戻っています。年齢的にも、体力が落ちないようにキープすることを考える年代になっているので、「もう少しコンディションよく体が動けば合格」という感じです。産後は体の回復も遅くなっているので、あせらずに期限を区切らずに、「東京2020までにもう少し上を目指す」というように考えています。
遠山:東京2020の代表選考の年ですが、どういう大会が待っているんでしょうか?
吉田さん:4月のスペインの大会、8月の江ノ島で世界選手権とワールドカップ。この3大会の順位がポイントになり、代表が決まります。大事な年です。
遠山:最短で9月には内定が出るのですね。感触はどうですか?
吉田さん:自分自身がケガをしないことはもちろんですが、道具を使うスポーツなので、道具を壊してしまったら出場できなくなってしまいます。道具も含め、しっかり準備することが大事だと思っています。普通にレースができれば勝てる感触はあります。
遠山:体力的には今までより劣る状態であっても、そう思えるのはセーリングでは経験が重要になるからでしょうか?
吉田さん:そうですね。オリンピック3大会での経験がすべて力になります。
遠山:東京2020で、日本代表として活躍してくれるのを楽しみにしています。
この対談後、 4月に行われたスペインの大会「プリンセスソフィア杯」で、吉田/吉岡ペアは目標にしていた得点を獲得し、日本選手内最上位に。日本代表選考へ順調なスタートを切りました。
後編はこちら↓↓↓
【セーリング選手 吉田愛さん- 後編-】 まずは運動の基礎を! 2歳になったら体操教室で体の使い方を身につけさせたい