子どもに好きなスポーツを見つけてあげたい。そう願う親御さんは多いでしょう。そこで、トップアスリートたちに、いつどんなきっかけでそのスポーツを始めたのか、親は何をしてくれたのかなどをリトルアスリートクラブ代表トレーナー遠山健太がインタビュー。
今回は、元モーグル選手 、下山研朗さんの登場です。前編では、モーグルとの出会い、その魅力についてうかがいます。
下山さんはソルトレイクシティオリンピックに出場した元モーグル選手
下山研朗さんは新潟県の湯沢町(苗場)生まれ。スキーが盛んな土地に育ち、スキーを始めたのは3歳のころ。小学生のときは地元のスキースクールでアルペン競技に取り組みます。中学生になってモーグルに出会い、友人たちと遊びでジャンプ台を作って跳び始め、中学2年生のとき地元の草大会で優勝。その後、地元新潟県のクラブチームに誘われ、公式戦で活躍するようになります。
高校2年(1999年)のとき、新潟県から初のフリースタイルスキー競技のナショナルチームメンバーとなり、日本のジュニア代表に。
大学1年(2002年)のとき、ソルトレイクシティオリンピックに出場。残念ながら20位で予選敗退。
大学3年生で競技を辞め、大学院に進学し、スポーツ心理学を専攻。
その後、会社勤務を経て地元に戻り、現在は自身が育ったクラブにてモーグルのコーチを務めています。1歳になる息子さんのお父さんです。
遠山と下山さんとの出会いは、遠山が全日本スキー連盟フリースタイルスキーのフィジカルコーチを務めていたころ。
現役時代にトレーニングに関わることはありませんでしたが、下山さんが大学院での研究のため、そして地元に帰ってから最新トレーニングを視察するため何度かNTC(ナショナルトレーニングセンター)を訪れた際に交流を深めていきました。
オリンピアンが3人も! 小さいときからスキーをする環境に恵まれていた!
遠山:下山さんは新潟県生まれでしたよね? スキーは小さいころから?
下山さん:はい。苗場生まれです。スキーは3歳からです。苗場の人口は200人にも満たないのですが、元アルペンスキーヤーの皆川賢太郎さん、柏木久美子さんに僕とオリンピアンが3人も出ているんです。スキー技術選のトップデモとしては柏木久美子さんのお兄さんの柏木義之さんもいます。
遠山:小さいころからスキーをする環境が整っていたんですね。
下山さん:そうです。学校が終わると滑りに行き、土日も遊び道具はスキーしかなかったのでやっぱりスキー。スキーをしないという選択肢はなかったんです(笑)。小学校高学年になると地元のスキースクールに入って、アルペン競技の練習をしていました。皆川賢太郎さんは6、7歳上でしたけど、当時から国内では負け知らずでした。


遠山:ご両親はスキーは上手だったんですか?
下山さん:普通だと思います。スキーが流行っていたから滑るといった感じでした。
遠山:夏は何かほかの運動をやっていた?
下山さん:野球です。中3まで野球部でした。私のスポーツに対する姿勢も野球部から来ている部分が大きいと思います。当時のモーグルは、華やかで派手なイメージでしたが、私はその雰囲気から少しずれていて、端から見てもほかの人と雰囲気が違ったと思います。体育会系ですかね。小学校のときは、少林寺拳法もやっていました!
遠山:たしかに異色だね。下山さんのようにスキーの基礎をしっかり身につけている人も少ないしね。


モーグルを目の前で見て衝撃を受け、仲間たちと見よう見まねで始めた!
遠山:モーグルはいつ始めたの?
下山さん:中1のときです。モーグルの雑誌を初めて見て、「なんじゃ、この競技は!」と思ったんです。地元の草大会を見たときには、私がやってきたアルペン競技と違って、モーグルにはMCがいて、スタートの選手コールし、音楽もバンバン流れます。「なんてきらびやかな世界!」と田舎の中学生には刺激的(笑)で、「これ、やってみたい」と思いました。
遠山:一人で始めたんですか?
下山さん:野球部仲間とです。その中には2つ上の兄もいました。みんなスキーができるし、野球部の冬のトレーニングとしてクロスカントリースキーをしているので体力もある。自分たちでジャンプ台を作って遊びの延長でやっていました。見よう見まねって感じです。
遠山:本気に変わったのはいつからですか?
下山さん:中2からゲレンデ主催の草大会に出るようになり、優勝したんです。そこで初めて公式戦に出ているチームに誘われて、所属することに。とはいえ、実家近くのゲレンデは、まだモーグル用のコースはなく、パトロールさんに見つからないようにジャンプ台を作って練習するといった感じでした(笑)。
遠山:モーグルが日本でちゃんと認められたのが、長野オリンピックだものね。
下山さん:そうです。里谷多英選手が金メダルを取って状況ががらりと変わりました。僕が高校1年生のときです。あちこちのゲレンデにモーグルコースができ、地元で練習ができるようになりました。僕もそれからのめり込み、公式大会で上位に行くことしか考えていなかったですね。

世界に出てフィジカルの違いを痛感。体を変えてソルトレイクシティオリンピックへ
遠山:高校時代はどんなレベルまで達したのですか?
下山さん:高校2年のとき、日本のジュニア代表に選ばれたんです。ジュニア世界選手権などに出させてもらいました。結果は、5位。この年から海外の大会にも出るようになり、外国人に勝つには体を変えなくちゃダメだということも痛感。当時、フィンランドチームに僕と身長、体重がほぼ同じ選手がいたんです、同じ体なのに、僕はワールドカップで60位以下。それに対し、彼は世界選手権で優勝している。何が違うんだろうと、食事、体づくりやメンテナンスの方法などを見直しました。初めてトレーナーという存在も知り、ここからトレーニングをするようになりました。
遠山:当時、トレーニングで体づくりに取り組んでいる選手はわずかでしたよね?
下山さん:意味をしっかり理解して、科学的なトレーニングを行っていた選手は少ないと思います。トレーニングのおかげで、高校3年から大学1年で一気に体が変わって爆発的に動けるようになった。そして成績が比例して上がっていったんです。その延長線上にソルトレイクシティオリンピックの代表があったと思います。タイミングも良かったです(笑)。
遠山:親御さんは応援してくれていたの?
下山さん:はい。あれこれ口を出すこともなく、海外遠征などにかかるお金を支援してくれました。ありがたいですね。
遠山:ソルトレイクシティオリンピックが大学1年生のとき?
下山さん:はい。そこから大学2年、3年と調子もよく、W-CUPランキングも10番台になりました。しかし、ソルトレイクオリンピック以降、大幅なルール改正があり、技の難易度も一気に上がり、僕自身も全日本チームも各国のレベルについていけず、練習方法や大会のプランニングなど、対応が遅れ、選手もコーチも思考錯誤の時期が長かったと思います。自身のトレーニングもうまくいかず、チームのことやルールや選考基準など、いろいろとごちゃごちゃ考えすぎてしまい、モーグル本来の楽しさや大舞台に挑戦する醍醐味は感じられず、成績も伸び悩み、大学3年生のときに競技生活に見切りをつけたんです。


成績重視ではなく、「自分が納得する滑りができているか」に挑み続けてほしい
遠山:その後、大学院に進んだんだよね? 何を学ぼうと思ったのですか?
下山さん:スポーツ心理学です。これもモーグルという競技特性からスポーツ心理学に興味を持ちました。ワールドカップで上位に入る海外選手たちにはみな殺気を感じるほどの特別な雰囲気がありました。よく「ゾーンに入る」というようなことがいわれていますが、上位の選手は、それに近い雰囲気だったと思います。世界大会で上位に入らなければ味わえない雰囲気です。
その後、各国の選手に話を聞いてみると、ロシアでは、当時勝てば徴兵制が免除になる、フィンランドでは一軒家や車がもらえる。アメリカ人は宗教性が強いのでしょう、胸の前で十字をきってスタートしていく。まだ甘ちゃん大学生だった僕とはバックグランドの違いを感じました。「本気度が違う! 生活をかけて試合に臨んでいる感じ!」そんなことを感じました。その違いはなんだろうと、僕なりに研究してみたかったので、「選手の志向性」を修士論文のテーマにしました。
ほかの競技でも、選手のコメントを聞くのは好きで、その選手の風土、習慣、育った環境などの違いによって発せられるコメントは様々な志向性を持ち、特徴的で聞いていておもしろいです。
遠山:その研究は今、生きている部分もあるんでしょう?
下山さん:そうですね。目標志向、つまり成績や点数を重視する選手はどこかで煮詰まってしまう。それに対し、熟達志向、「もっと高く跳びたい」「速く滑りたい」など、自身の向上を目指している人は実力を発揮しやすいし、競技を長く続けていられる。国内のトップ選手でも、上位選手は熟達志向の選手が多いという結果でした。今、現役選手には「引退するときの最後のジャンプについて、トリック(技)は何をしたい?」とたずねたりしています。成績ではなく、自分が「最後に思い描いたジャンプや滑りに対して、挑戦せずに終わるようであれば、大会に関係なく挑戦するべきだ!」と伝えたいです。
遠山:成績が気になってしまう選手は多いですよね。
下山さん:私の後輩で、伊藤あづさという選手がいます。 5~6年前の話ですが、当時「辞めたい」と言っていた時期がありましたが、「自分の滑りはまだまだできる」と気持ちを切り替えたあと、全日本で3位になり、昨年まで挑戦し続けていました。「自分が納得する滑りをしてから辞めたい」という思いに変わったんだと思います。伊藤選手は、W-CUPや世界選手権を経験している元日本代表選手ですが、華々しいラストではなかったと思います。しかし、その考え方や取組む姿勢は一流選手だと思います。若い選手には、伊藤選手をお手本に挑戦してほしいなと思っています。

目指す技ができたときの達成感。それを世界中の大自然の中で味わえるのが楽しい
遠山:モーグルの魅力を改めて教えてください。
下山さん:達成感を味わえるのが最高ですね。ジャンプに挑戦して、できた! 立てた! というのはこの競技ならではの快感だと思います。それが本番で成功できれば、挑戦するおもしろさを味わえます。現在、技のレベルは男子なら3回転ですが、それを大会でピタッと決められたときはすごい達成感だと思いますよ。堀島行真選手は4回転をやっていますが、それができるのは世界でも2、3人。それを世界の舞台で挑戦できるってことは最高に楽しいだろうなと思います。
遠山:世界のどのコースも一緒でないというのも魅力ですよね? 緩斜面もあれば急斜面もある。自然の中でやるものだから。
下山さん:はい。ヨーロッパの氷河にいけば雪はガリガリで、着地のところを普通はスコップで柔らかくするんですけど、斧でくだく(笑)。そのかけらはカランカランカランって、備長炭が転がっているみたいな音がするんです。そこを着地しなくちゃいけない。かたや、日本の北海道であればさらさらのパウダースノーのコースですし。実はW-CUPで一番急な斜面は日本なんです。
遠山:バスケットボールやバレーボールといった室内スポーツとの違いですよね。
下山さん:そうですね。バスケットボールやバレーボールでは、そのコートやゴール、ネットは決められた幅、高さで、どこへ行っても環境は変わりません。しかし、スキー競技は、場所や日にちが変われば、1日でその状況は変わります。たとえば、カナダではー28℃という極寒の中を滑ることもありました。そんななか、地元の選手はホットワイン飲んで「行くぜ!」っていう感じでしたから、やっぱり風土、習慣が違うんだな(笑)と。 日本でも一日で積雪が1m以上あり、コースがすべて埋まってしまうこともありました。思い出に残っているのは、フィンランドですね。極夜のフィンランドでは、太陽が2時間程度しかのぼらず、常に真っ暗。しかし、オーロラがずっと出ていて、オーロラをバックにスキーをしたのは初めてでした。こんな環境の変化も醍醐味です。
後編では、指導者、そして親としての下山さんの思いに迫りますのでお楽しみに!