子どもに好きなスポーツを見つけてあげたい。そう願う親御さんは多いでしょう。そこで、トップアスリートたちに、いつどんなきっかけでそのスポーツを始めたのか、親は何をしてくれたのかなどをリトルアスリートクラブ代表トレーナー遠山健太がインタビュー。
今回は、元モーグル選手の切久保達也さんの登場です。前編では、子どものころから、アルペンスキーはもちろん、ジャンプ、ノルディック複合、モーグルとさまざまなスキー競技に挑戦してきた切久保さんに、その出会いと魅力についてうかがいます。
切久保さんはジャンプやノルディック複合で活躍したのちモーグル選手に!
切久保達也さんは長野県の白馬村生まれ。
スキーが盛んな土地に育ち、物心がつくころにはチルドレンのスキー大会に出場。
小学生になると地元のクラブでアルペンスキーの基礎を身につけ、6年生からはジャンプの道へ。
高校時代、クロスカントリーの力がついたことから、ジャンプとノルディック複合の両競技で大学卒業まで活躍。
モーグルは大学時代に遊びとして始める。東京での会社勤務を経て地元・白馬村に戻った際、選手として活動を始動。長野五輪を目指す。
その後、プレイングコーチを経てモーグルの指導者に。日本代表チームのコーチも務め、同郷の上村愛子選手をはじめとする数多くの若手のモーグル選手の育成に関わる。
現在は3人のお子さんのお父さんです。そのうち、二人のお子さんはアルペンスキーで世界を目指しています。
トリノ五輪直前の2005年、モーグルの代表チームの合宿で初めて出会い、ジュニア選手担当のコーチだった切久保さんの人懐っこい性格と野球好きという共通点からすぐ仲良くなりました。
モーグルにおいても、スキー技術を磨く必要性を解くその指導方針からも多くの影響を受けました。
白馬の小学校にはジャンプ台も! 小さいときからさまざまなスキー種目を経験
遠山:切久保さんは白馬村生まれですよね? スキーをするのが当たり前の環境だったのでしょうか?
切久保さん:そうですね。物心ついたころにはスキーの大会に出ていました。白馬はスキーが盛んなところなので、チルドレンのスキー大会が普通にあったんです。今思うと、クラブの体制がしっかりしていたのだと思います。それに、小学生でスポーツをするときの選択肢がスキーと野球しかなかったんです。
遠山:地元の子はみんなクラブに入るものですか?
切久保さん:そうですね。小学校低学年ではほぼ全員。学年が上がると少しずつ減っていきました。中学生になって半分くらい、高校生で10人前後になるという感じです。
遠山:小さいときはみんなやるんですね!
切久保さん:小学校でスキー大会があるんですが、種目でいうと、アルペンスキーもクロスカントリーもありました。それに、授業では全員ジャンプもやるんです。
遠山:それは珍しいですね!
切久保さん:日本で唯一だと思いますが、白馬にある2つの小学校にはジャンプ台があったんです。ジャンプ王国のイメージのある北海道でさえないのに。現在、ジャンプ台は白馬北小学校1校のみになってしまいましたが、今も全校生徒がジャンプしています。
遠山:本格的なジャンプの装備で飛ぶんですか?
切久保さん:いいえ、道具は普通のスキーのものです。ただ、怖いと感じる子もいるので、着地するところ(ランディングバーン)のみ、滑る子たちもいます。
遠山:小さいころからやったほうが恐怖心がなくなると言いますが…。小学1年生も6年生も同じ高さで飛ぶんですか?
切久保さん:白馬北小のほうにはジャンプ台が2つあるんですよ。
遠山:それはすごい! ノーマルヒル、ラージヒルですか?(笑)
切久保さん:いやいや(笑)。距離にしたら、15mくらい飛ぶ台と5、6m飛ぶ台です。1年生は小さい台で飛びますね。

本格的に飛んでみたら、ふわっと浮く感覚が楽しくてジャンプの道へ
遠山:白馬の子どもたちは、アルペンスキー、クロスカントリー、ジャンプを経験して、好きなものを選んでいくのですか?
切久保さん:そうですね。当時はアルペンスキーを選ぶ人が多かったですね。ジャンプを競技としてやる子は学年で1、2人程度。ジャンプは不思議と危険だと思われるんですね。本当は一番安全なんですけど。
遠山:一般人から見ると、高いところから飛び降りる分、リスクもありそうですが…。
切久保さん:ジャンプはスポーツの中でも一番安全だと思いますよ。まず、競技を続けていて障害が起きないんです。
遠山:あんな高いところから飛んでも!?
切久保さん:そうです。「ふわ〜」と飛んで「ぱさっ」と着地するイメージです。多くのスポーツは、競技を続けていると関節を痛めることが多いですし、クロスカントリーなどは持久力を高めるために激しく鍛えすぎると、年をとると不整脈が出てきます。ジャンプではそういう障害が起こりにくいんです。ただ、高いところから滑り降りるので、恐怖心との戦いはあります。葛西紀明選手は40代後半ですが、たぶん、軽い腰痛くらいと思いますよ(笑)。
遠山:ジャンプを競技としてもやっていたんですか?
切久保さん:小さいときはスキーの基礎を身につけるためにアルペンスキーをやっていたんですが、親父がジャンプ経験者だったということもあり、「ジャンプをやらないか」といった誘いも来ました。それに、アルペンスキーのクラブの練習がすごく厳しくて、だんだんイヤになってきた(笑)。
今はバックカントリースキーという言い方をしますけれど、当時、山の中のさらさらの新雪を滑って、段差を飛び降りてというのが大好きだったんです。練習中も指導者の目を盗んでは、1本そっちに行って滑り、ポールに戻っては1本滑るといった具合。しょっちゅうやっているとばれて、「そんなに飛びたいんだったらジャンプに行ったほうがいいんじゃないか」ということになり、アルペンスキーをやりながら、ジャンプの試合にも出るようになったんです。
遠山:それはいつごろですか?
切久保さん:小学校5年生の冬の終わりです。ジャンプをやってみたら思いのほか楽しい! 普通、小学生は飛ばないような高い台から飛んでみたら、やっぱり飛んでいる気がするんです。「ふわ〜〜」と。最初は怖いんですが、道具は飛ぶためにできていますから、ちゃんと浮力を受けて飛ぶ。「なんか飛んでるな、おもしろいな」というのが始まりだった気がします。
遠山:何メートルくらい飛ぶんですか?
切久保さん:スキー場にある中学生用の台で40メートルくらいです。アルペンスキーのほうもちょうど成績が出てきたところで、友達も多かったのでおもしろかったんですけど、結局、6年生からジャンプ1本に絞りました。
遠山:そのときはお父さんに習っていたんですか?
切久保さん:はい。小学校のときは親父に習っていましたが、中学になると、また別の指導者がいました。白馬はクラブ体制がしっかりできていましたね。

キツい練習で成果が! 走れるようになってノルディック複合の世界へ
遠山:ノルディック複合に転向したのはいつですか?
切久保さん:高校生になってからです。長野県では、本当に走るセンスのない選手以外はジャンプも複合もやるんです。僕は走れなかったので中学時代はジャンプのみで、高校も最初はジャンプだけでした。ところが、ノルディック複合でサラエボ五輪に出場した丸山寿明さんが先生として赴任してきて、練習がハードになりました。
あまりの練習のキツさに、複合の選手の半分くらいがやめてしまったんですが、僕は幸か不幸か走れるようになってきて。今まで勝てなかった人たちに大会で勝ってしまったんです。「あれ、もしかして俺速い?」と驚くくらいに。練習の成果が出たんです(笑)。それが1年生の県大会の前の大会。その結果、ジャンプと複合の両方でインターハイに行けることになりました。初めは「俺ってすごい」と思ったんですけど、冷静に考えてみると、「しまった! やらかしたかも」という気持ちになって(笑)。走るのがイヤだからジャンプだけと思っていたのに、複合もやることになってしまったんです。

遠山:それからはジャンプと複合を両方やっていたんでしょうか?
切久保さん:はい、大学卒業まで。
遠山:大学時代の目標はどこに置いていましたか?
切久保さん:僕は大学に特待生で入れていただいたんですが、ケガのために大学1年のときはほぼ練習ができなかったんです。ですから、インカレで少しくらい活躍しないとマズイぞ、という思いはありました。それでも練習はイヤイヤでしたね(笑)。自分が思っていたトレーニングと先生や先輩がやっているトレーニングの量があまりにもかけ離れていたんです。高尾山に走りに行くんですが、実際は高尾山じゃない、3時間以上延々に走っているんです。先輩が鬼のように練習する人で、ちょっと泣けてくるメニューが多かったですね。
遠山:それで結果は出せましたか?
切久保さん:3年生のとき、インカレの大学対抗で6位に入ってポイントが取れたのでほっとしたというのは覚えています。
遠山:ノルディック複合の日本代表として活躍した荻原健司、次晴兄弟と同じ年と聞いていますが。
切久保さん:そうです。大学は違うので普段の練習は別ですが、ジャンプ台の練習や大会では一緒になりましたね。レースになるとあっという間においてかれるという感じ。そんなことあるっていうくらいの速さで(笑)。化け物みたいに走るのが速い!という印象でした。
コブを滑ってバーと飛んでまた滑る。モーグルの楽しさに出会う
遠山:モーグルとの出会いはいつですか?
切久保さん:大学時代、地元でモーグルの大会があったんです。当時、モーグルと言われてもよくわからなかったんですが、幼なじみたちに「とりあえず、スキーを履いてくればいい」と誘われて、やってみたらおもしろかったんです。コブをすべって、バーと飛んでまた滑って。こんな競技があるんだと思いました。
遠山:1980年代後半ですか?
切久保さん:そうですね。五輪の正式種目になる前です。当時は、まさか本気でやるとは考えていなかったんです。実際、大学卒業時にスキーはやめて、スキー部のOBの方がやっている東京の鉄の専門商社に1年半、お世話になりました。
遠山:働きながらモーグルは続けていたんですか?
切久保さん:はい。遊びで。昔のジャンプ仲間から「週末、来いよ」とお声がかかって白馬に帰ると、モーグルの大会に出る準備ができているんです。
遠山:特にモーグルの練習をしなくてもできてしまったということですよね?
切久保さん:そうですね。モーグルにはジャンプがありますが、ジャンプ出身ですから飛ぶときの感覚やタイミングはわかります。ジャンプ出身の人間は滑るのはおいといて、飛ぶのはうまい。モーグルはジャッジスポーツなので、見ている人にアピールできるんです。僕はアルペンスキーもやっていましたから滑ることもできましたしね。
遠山:本格的に競技としてやろうと思ったのはいつですか?
切久保さん:これもタイミングだと思うのですが、就職して1年半くらいたったときにおふくろの具合が悪くなって、実家の旅館を手伝うため帰ることになったんです。ちょうどそのころ、長野県スキー連盟にフリースタイルスキー部が正式にできて、「これから強化していくからお前も入れとくからな〜」と言われて。それが始まりですね。
遠山:当時、モーグルは回転技はしなかったんですよね。
切久保さん:そうなんです。回転技などをやるようになったのはもっとあと*なんです。それまでは回転してはいけないルールでした。もし実施したら減点、あるいはイエローカードでしたね。
遠山:練習場所はあったんですか?
切久保さん:はい。地元のスキー場に夏も飛べるプール(ウォータージャンプ)ができて。すべてタイミングよくモーグルをやる環境ができたんです。とはいえ、コーチや部長は経験者ではないので、練習は適当でしたが(笑)。
*モーグルでは、2002-2003シーズン以前はブーツが頭より上にくるような技は禁止されていたが、2003-2004シーズンからはルール改正により新たにオフアクシスやフリップ系の技が認められ、よりアクロバティックになった。

モーグルの技術向上のために。トレーニング法を身につけるためにカナダへ
遠山:モーグルをやっている人はノルディック複合とは違ったでしょう?
切久保さん:はい。フリースタイルという分野だったので、「これは趣味、遊び!」というノリで滑っている人たちが大半でした。今では、ゲームが終わると、コンディショントレーニングでランニングやストレッチするのは当たり前ですが、当時、そんなことをする人はほぼいない。僕が試合のあと、札幌の街をランニングしていたら、「たっちゃん、なんで走っているの?」と驚かれる。僕はハードなトレーニングしてきたアスリート系ですから、ゲームのあと何もしないことに逆にびっくりで、ランニングやウエイトをしていたんです。実際、モーグルという競技は肉体的に疲れるんです。何もしないと「明日動けなくなるな」と思って。モーグル日本代表の三浦豪太君も当時からウエイトしていましたね。トレーニングが趣味でしたから(笑)。
遠山:当時は、昨日まで遊んでいた人が日本代表になるようなイメージでしたよね。「トレーニングするくらいだったら代表を辞退する」っていうような感じでした(笑)。
切久保さん:長野五輪を目指しているときでさえ、日本の選手たちはそんなにトレーニングをしているイメージはなかったですね。それに対して、アメリカやカナダでは、モーグルもアスリートの世界。ちょうど、世界チャンピオンのコーチをやっていた人がカナダでキャンプを開いていたので、トレーニング方法を学ぶためにそこに入りました。その人から、滑り終わってからどんなコンディショニングをしているのか、冬季、転戦していくとき大会と大会の間はどんなことをしているのか、オフシーズンどんなことをしているのかなど、ありとあらゆることを聞きましたね。
今思えば、そういうことを聞いたのも、高校のときの経験が大きい。厳しいトレーニングさせられたことで、トレーニングはするものであり、トレーニングをしたら結果は出るということを植え付けられましたからね。
遠山:アルペン、ジャンプ、ノルディック複合、モーグルといろいろやってきたわけですけど、その魅力は?
切久保さん:僕は強くなりたいという欲があんまりなかったんです。もともと練習嫌いで、バックカントリーで飛んだりしているのが楽しかっただけ(笑)。それが、いつの間にかアスリートとしての世界に引きずり込まれていき、そこにはトレーニングという僕の嫌いなものが乗っていた。初めはやらされている感があったけれど、それをやることで結果が出るということもわかってきて、その喜び、楽しさも味わうことができました。
いろいろやってきた中では、バックカントリーを滑ったり飛んだりという、僕の好きなことにモーグルが一番近かったですね。
今はハーフパイプとかスロープスタイルとかありますからね。当時、それがあったらそっちに行っていたかもしれないですね。
切久保さんの指導者として、そして親御さんとしての思いは後編で。
後編はこちら↓↓↓
【元モーグル選手 切久保達也さん-後編-】まずは子どもの好きなことを! 親としてはその先の人生を見据える大切さも伝える